泰阜村ってこんなところ

下伊那郡泰阜村
泰阜村は、縄文時代からの生活が各所の遺跡に見られ、戦国時代は時の支配領下にありました。江戸時代には天領地としての期間が大半であり、明治維新後は、伊那県管轄に入り、同4年には筑摩県の管轄となり、同8年1月に筑摩県17ヶ村が合併して泰阜村を設立し、明治22年市町村制を経て今日に至っています。
村名の泰阜村は、漢詩にある「泰山丘阜」からきており、泰阜の「泰」は、水路を自分の両手で拓くという意味があり、「阜」は、豊かで盛んな様を意味しています。
長野県の南部、下伊那郡の南東、天竜川の東側にあります。居住地の標高は天竜川の河畔の320mから分外山山麓の770mと、標高差が450mもあり、常緑樹と落葉樹が混在し、植生が豊富で白いタンポポ、かたくりなど多様な花が楽しめます。村の広さは、東西10.8km、南北16.0km、総面積64.54km2で山林が86%を占めており、土地は洪積層からなる比較的肥沃な土地の南部地域と花崗岩崩積土からなる北部地域で、19の集落が山間に点在しています。(泰阜村ホームページ抜粋)
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