名 称 : 八人塚
場 所 : 伊那市
キーワード : 秋葉街道、歴史、田舎
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詳細情報
住所 | 〒396-0403長野県伊那市長谷黒河内 |
TEL | - |
FAX | - |
URL | - |
メール | - |
料 金 | - |
営業時間 | - |
休 日 | - |
駐車場 | 無 |
アクセス
自動車利用:伊那ICから21.2km 約40分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車タクシー17.8km 約35分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車徒歩17.3km 約3時間42分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車タクシー17.8km 約35分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車徒歩17.3km 約3時間42分
コメント
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看板資料より・・・戦国時代の享禄元(1528)年信玄の父武田信虎が諏訪大社の神官諏訪頼満と境川で戦ったのが武田氏の信州侵入の最初であった。
それ以降武田氏は信州侵入の挙に度々出たので、信州の諸豪族は武田氏に対し、城を堅固にするとともに新たな城を築くなどして侵入に備えた。
一方信州の小笠原、木曽、諏訪の連合軍は甲州韮崎まで反撃に出て戦った。
また天文9年には武田信虎は大挙して佐久に侵入し、1日に30余城を落とし小県に侵入する等武田氏の信州侵略の野望は飽くなきものがあったので、弘治2(1556)年、武田信玄が上杉謙信と対陣中に上伊那の諸豪族は武田氏に反抗するために、信玄の娘の嫁ぎ先の木曽氏を攻撃して帰った。
これを聞いた信玄は大いに怒り、川中島で上杉軍との戦いを中途にして急遽伊那へ鉾を転じ、木曽氏を攻めた8人の諸将を捕え、狐島において処刑し晒首にして置いた。
黒河内の住民の勇士は闇夜に乗じてひそかに狐島に赴き8人の首を持ち帰り、黒河内の艮(うしとら)城の東のこの地にに丁寧に葬った。
郷人はこの8人の諸将があくまで武田氏の侵入に反抗し郷土を守ったその勇を称え、霊を慰めるとともに英名を後世に伝えるためにこの碑を建てた。
以来毎年春秋2回黒河内区の主催による追善供養の法事を碑前において挙行し、往時をしのんでいる。