名 称 : 一瀬越前守直忠の墓
場 所 : 伊那市
キーワード : 歴史、田舎、ツーリング・ドライブ
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詳細情報
住所 | 〒396-0405 長野県伊那市長谷市野瀬 |
TEL | - |
FAX | - |
URL | - |
メール | - |
料 金 | - |
営業時間 | - |
休 日 | - |
駐車場 | 無 |
アクセス
自動車利用:伊那ICから26.3km 約47分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車タクシー22.8km 約41分
鉄道利用:JR飯田線伊那市駅下車徒歩22.2km 約4時間48分
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コメント
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一瀬越前守直忠は剃髪後は、一瀬主水入道直繁と称しました。
その墓石は元来市野瀬の城山に続く峯にありました。
かつて市野瀬の村中を流れる粟澤川の度々の洪水に悩まされていたのを高遠藩の許可を受け天保13(1844)年城山の峰つづきを掘り抜き粟澤川を直接三峰川に注ぐよう流れを全く変えました。
それ以来そこを「掘り抜き」と呼んでいます。
その工事の際、現在地に移されました。
宝筐印塔形式の立派な墓石で戦国時代江戸初期のものではないかと推測されています。
一部破損した箇所もあるがほとんど原型が保存されてます。
熊野城のあとに市野瀬城を築いた一ノ瀬越前守直忠は、高遠領下に属して郡下諸城主と共存共栄で暮らしていましたが、武田信玄の侵攻を受け、天文18年(1549)の青柳峠の戦いで壮烈な戦死を遂げました。
よって彼の墓、宝筺印塔は約450年前に建立されたことになります。